水島臨海鉄道「鉄道の日」フェスタ(3)津山まなびの鉄道館(中編)

早いもので11月も終わりを迎える。師走がやってくるわけで。
年末よりも年が明けて...、フツーのお仕事をされている方とはちょっと違って2月からが忙しさのピークになる。
ということで、その時期を控えて、1年で最も憂鬱な気持ちになるのが、自分にとっての12月なのである。

やりたいことはいくらでもあるのだが、そんな1月に引越を控えており。いま、着々とその準備を進めている次第。

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【2024年10月26日12時32分】 岡山県津山市大谷・津山まなびの鉄道館

今年は10月27日の日曜日が、水島臨海鉄道「鉄道の日」フェスタ。その朝、港東線にキハが乗り入れるのが恒例行事化しており。
日曜の朝に東京を発つと、コレを撮ることができないので、今年は満を持して前日入り。ということで、「津山まなびの鉄道館」に立ち寄ったのだった。
お目当ては屋外に引き出されて展示されたキハ、それでも、他の展示車も一通り写真に撮って。

過去にもこのブログでご紹介しているのだが、ちょっとずつ変わっている部分もあって。
……  ……

2024年10月26日(土)曇り

電気で走る「電車」、そして、もちろん蒸気機関車。
主要路線の特急、そして、煙を吐いて力強く走る姿。電車と蒸気機関車は注目が集まりやすい分、引退後の保存例も多いのだが、ローカル線で、その蒸気機関車を追いやりながら、地味な働きを続けたものが多かったキハ...ディーゼル動車については、注目も集まりにくく。

2000年代はじめ、津山にいらしたJRの現業で偉い方がキハの...ディーゼルに対する思いが強かったのだとか。
JR西日本管内で引退を迎えたキハとディーゼル機関車を津山の扇形庫に集めて。

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【2024年10月26日12時29分】 岡山県津山市大谷・津山まなびの鉄道館

自分も何度も、乗りに、録りに行ったキハ181系も米子で廃車になった1両が津山に運ばれ。

山陰のローカル特急として活躍していた時期だけを知っている自分だが、もともと中国地方では、伯備線特急「やくも」号として活躍。
その姿で展示されており。

そう、でも、ここの展示車両、扇形庫で大切に保管されている分、車両全景を撮るのは難しいのである。

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【2024年10月26日12時30分】 岡山県津山市大谷・津山まなびの鉄道館

津山の展示車の中で思い入れが一番強いのは、このキハ52 115号車かもしれない。
2006年頃に、この朱色とクリームの国鉄色に塗り戻され。最後まで糸魚川鉄道部に残ったキハ52形3両の中で一番人気だった車両。
自分も何度も撮りに行ったわけで。その3両の仲間のうちの1両が、いま、いすみ鉄道にいるキハ52 125号車。ちなみに、もう1両は糸魚川で保存されておりり。3両全てが保存されたという稀有な例。

ホントはキハ181形と同様、正面しか撮れない筈だが、この日は...。
今回、岡山県内で広く開催された「森の芸術祭」に合わせて、隣のキハは屋外に引き出されており。撮りづらいのだが、一応、車体側面まで見ることができて。

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【2024年10月26日12時30分】 岡山県津山市大谷・津山まなびの鉄道館

当初は「ディーゼルの殿堂」的な存在を目指したような感じだったが、そこに加わったのは、デゴイチ。D51 2号機である。
大阪・弁天町にあった交通科学博物館が閉館になったとき。収蔵車両は京都にできる鉄道博物館に移管されることになったが、梅小路にはD51が既に居たので...。

1,000機以上が作られたデゴイチだけに、<変態鉄>としても何度も見ているのだが、この2号機を含め、最初の100機ほどは「ナメクジ」と呼ばれ、煙突とドームが一体化しているのは、昭和初期に世界的に流行った“流線型”の流れを汲んでいるとも言われ。
このスタイルが好きで。この日は、頭出しで展示されていたので、ナメクジとわかる1枚が撮れたのが“収穫”。ちなみに、関東だと、つくばと流山、TX線沿いに「ナメクジ」が残っており。撮りに行ったことがある(→ こちら)。

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【2024年10月26日12時31分】 岡山県津山市大谷・津山まなびの鉄道館

他の見学者も多く。

いったん振り向いて、居並ぶキハたちとターンテーブル。
扇形庫もターンテーブルも、もともと蒸気機関車のための施設・設備。中国地方の鉄道の要衝として栄えた津山の街を象徴するものである。
でも、キハも1両単位で運用されており、上り向き、下り向き、時折、編成の都合で方転する必要があり。そういった際にキハが使うことも少なくないという。ということで、このターンテーブル、たぶん、“いまなお現役”。
尤も、現業機関の統廃合で津山には車両の配置自体はなくなっており、使う機会は少ないだろうが。

あとは山陰地区を中心に、国鉄時代に活躍したディーゼル機関車たち。

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【2024年10月26日12時32分】 岡山県津山市大谷・津山まなびの鉄道館

DF50形、現役時代を自分も見てみたかったが...

四国と山陰で活躍した。キハと同様、液体式変速機の開発に手こずる中で、電気式で登場したのが特徴。
後に液体式が本格採用されると、後継機種は登場せずに...。だから、朱色の箱型のディーゼル機関車というのが珍しいわけで。

最近、電気式ディーゼル動車が登場していることに不思議なめぐり合わせを感じる...くらいしか書けないのが、メカに疎い<変態鉄>。

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【2024年10月26日12時32分】 岡山県津山市大谷・津山まなびの鉄道館

国鉄時代、初めてディーゼル機関車が本格的に稼働したのは、終戦後、占領軍が持ち込んだ機関車だった...とされるが。
国鉄として本格的に全国に投入したのが、DD13形。

後継の汎用機、DE10形が幅広く活躍したので、<変態鉄>が物心付く前に第一線を退いていた機関車だが、なぜか、各地の臨海鉄道には残っているものがあり。(外観は同じでもエンジンは換装されているが...)

これも<変態鉄>の好きな機関車の1つ。

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【2024年10月26日12時32分】 岡山県津山市大谷・津山まなびの鉄道館

そして、ここにしか無い...というか、1両だけの試作で終わってしまった中央のDE50 1号機。
幹線用はDD51、亜幹線やローカル線にはDE10形という“二大巨頭”のようなディーゼル機関車があって。いずれも全国に多数が投入されたので...。

当初の予定では、その間に亜幹線用として両車の中間的な性格の機関車が予定されていたのだとか。
1両の試作機が製造されただけで。だから、実力を発揮する場面もあまり無いまま、早期に廃車になり、以降は岡山電車区の片隅などに留置されていたという。

だからこそ、津山に最初に展示された1両で。

さぁ、1両ずつ見ながら、奥の方へ。いよいよ、キハと再会である。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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