489系 急行「能登」号 上野駅発車後放送(1999年10月27日)

今日のブログ、車内放送のコレクションから1つご紹介したい。
まだ、大学生の頃、1999年10月27日の深夜に上野駅を出発した、急行「能登」号の車内放送である。
当時、自分は車内録音に際して、「他の乗客の話し声が入らないこと」は“絶対条件”だと考えていた。だから、早朝・深夜の列車など“誰も乗らなそうな列車”をどう見つけるのかに腐心していた。
だから、コレも、録った当時は完全に“ボツ”だと思っていた。ただ、この“能登”号でしか聞くことのできない珍しいバージョンの鉄道唱歌のメロディーが入っているので、データを消去せずにいただけのもの。

それでも、録音から四半世紀。25年が経過してから聴き直してみると、当時の、自由席を主体とした列車、車内は混雑しており深夜とはいえ上野駅発車直後は車内は賑やかで。
そんな車内の雰囲気も分かる録音と言うもまた非常に良い記録になった...と。

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【2010年3月4日23時40分】 東北本線・上野駅

急行「能登」号、初めて乗ったときは14系客車をEF62形電気機関車が牽引する客車急行(当時は信越線・長野回り)、3段式寝台車に乗った思い出がある。
でも、この頃、すでに489系“白山編成”に置き換えられており。また、北陸(長野)新幹線の開業で上越線(長岡)経由になって、高崎 ~ 直江津間無停車(もちろん、途中駅で運転停車は度々)というのも異例の急行列車だった。

客車急行時代は七尾線を経由して輪島まで乗り入れていた。そして、電車化された後は、このときも福井まで乗り入れており。
発車直後の車内放送では、北陸本線内の駅名が次々と...

最近は「夜行列車」といえば“特別なイベント”という感が強く、車内も独特の雰囲気だが、この頃の「能登」号は自由席もあり、長らく続いた「ありきたりの夜行列車」、その最後の姿だったのかもしれない。
上野駅地平ホームを発車した489系、「白山編成」化のアコモデーション改善工事に合わせて車内チャイムも交換されており。その交換が早かったからだろうか、電子音ではなく8トラテープを使った独特のチャイムになった。



オモチャの笛の音を主旋律にしたオリジナルの「鉄道唱歌」で始まる車内放送を...
賑やかな車内に往時の夜行列車の雰囲気を感じていただければ...、ちょっと長いが、上野駅を発車するところからご紹介したい。なお、音源にはノイズが多く入っているのはご了承いただきたい。……  ……

1999年10月27日(水)雨

このときは、高山本線に最後まで残ったキハ58系急行「たかやま」号の“惜別乗車”(という名の“葬式鉄”)のため、富山から高山本線へと向かったのだった。
22時半過ぎの吉祥寺駅からスタート。

この頃の「能登」号は“白山色”を纏っていた当時。この後、国鉄特急色に塗り戻されたのだった。

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【1999年10月27日】 東北本線・上野駅

以前も書いた通り、この当時の自分は「撮る」よりも「録る」だった。

当時の急行「能登」号は高崎線方面への“殿”の電車として日付が変わる直前、23:54発。上野駅は地平の16番ホームから。

駅員さんが、独特の言い方でマイク放送、それが反響して...
長距離列車が入線してくるときの様子からマイクを向けたようだが、この日は大雨の影響で常磐線などのダイヤが乱れており。隣のホームには所定21:30発の「フレッシュひたち」号が停車したままだった...と当日のメモ。
そのせいもあってか、「能登」号は接近放送も特に無いまま、23時半過ぎに入線してきた...と。

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高崎線方面への最終列車も兼ねている...というのはダイヤからも明らかで。そうすると、上野駅発車直後の自由席車は退勤客でごった返して賑やかになる...と予想して指定席を確保していた。

しかし...

むしろ、指定席もグリーン車もかなりの席が埋まっており、自由席の方が空いていたようで。しかも、自分の乗った2号車(モハ488-4号車)は農協(?)の団体旅行のグループが乗り合わせていたようで、発車前から盛り上がっており。
東京と北陸を乗換無しで結ぶ...という、昔からの夜行列車の本来の役割が、ちゃんと残っていたのだった。

上野駅を定刻通りに発車、「急行・能登号、上越線経由の福井ゆきです」で始まる車内放送、9両中、自由席が5両というのはある意味、急行列車らしい編成。
「おタバコが吸えますのは...」というのが、いまの時代との違いだろうか。当時は当たり前のことだったのだが。

赤羽、大宮、上尾...と特急型を使っていても、小まめに停車していくのが急行列車である。それでも「高崎には1時19分です。高崎の次は直江津に停まります」、当時、北陸新幹線は「長野行新幹線」として長野駅まで開業していた時期、もともとは長らく信越線(軽井沢・長野回り)で運転されており。
当時は深夜帯の長野県内の駅にも小まめに停車していた。

直江津から北陸本線に入ると、富山に6時、金沢が7時前、終点の福井駅には7:50着。旅行にもビジネスにもちょうど便利なダイヤ...ということになる。

放送の終わりの方に出てくる“テレホンカード式車内公衆電話”というのも、これまた懐かしいワードである。

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【1999年10月28日】 北陸本線(当時)・富山駅

北陸本線に入って富山県に入る直前、糸魚川駅の近くに交直の電源切り替え(デッドセクション)があった。車内で録音していれば、数秒間だがエアコンが止まる時間帯があるので、そんな特徴的なサウンドを録っておこうと張り切っていたようだが...
1時過ぎの高崎で“おやすみ放送”、当時の「能登」号、車内照明は“減光”というよりも“消灯”に近かった。いつの間にか熟睡しており、気づいたら既に富山県内に入って泊駅付近だったと、メモにはあり。

リクライニングしたとはいえ、座席で...
それだけ熟睡できたというのも若かったゆえだろうか。今なら、絶対に乗りたくない。無理してでも夕方のヒコーキで現地入りして、ホテルで1泊していたはず。

意外と乗車率が高かった「能登」号、他の乗客の会話が入らないよう車内を歩き回って。そうすると「ラウンド・コンビニエンスカー」として昼行特急「白山」号の時代に売店として使われたスペースが、いつの間にか無人になっていて。
富山到着10分前を告げる“おはよう放送”は、そこで録音したのだった。(→ こちら)

……  ……

国鉄型特急電車の車掌室に必ず付いていた「鉄道唱歌」のオルゴール、分割民営化後、“地域密着”の証としてそのオルゴールが「ご当地チャイム」に変更されるものも多かった。
その“はしり”のような感じになった同編成、「東京音頭」や「百万石音頭」「信濃の国」「佐渡おけさ」など、その8トラテープでいろいろなメロディを流していた...と。
何度か聞いたことはあるのだが、ちゃんと録音したことは無く。

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【2018年8月10日10時13分】 石川県小松市土居原町・土居原ボンネット広場

小松駅近くで保存された1両のクハ、その車内にこのメロディが残されており。訪れた際に、一度だけ、鳴らしたことがあるのだが、今度はICレコーダを持って、また、小松の街を訪れたいと思っている<変態鉄>なのである。
小松までは、もちろん、ヒコーキで。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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