あぁ、憧れの「22」に逢いに... 【出撃予告】

特徴的な富山地鉄(鉄道線)の車輌形式。下2桁が車輌の型を表し、上3桁が主電動機出力を表す...という不思議な方式。
だから、内部では車輌をその下2桁で略すケースが多かったみたい。

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【2019年9月26日16時44分】 富山地方鉄道本線・寺田駅付近

「22」番というモハの車号にちなんで「ふたふた」と呼ばれていたのは14722編成。
この顔の地鉄電車...日車ロマンスカー...の仲間で最後まで活躍した電車でもあった。

拙ブログにとっては開設当初から追いかけて撮影記を書いていた電車でもあり、そして、初代ブログの最後の撮影記になったのも、この電車の、お別れ運転の模様だった。
2019年の暮れ、中国武漢で「謎の肺炎」が流行りだしていた時期にお別れイベントが行われ。

やはり、<変態鉄>の中では「22」といえば、地鉄電車だが...

実は、あと1日ほどすると、<変態鉄>は眠い目をこすりながら、ベッドから這い出してきて、そして、吉祥寺駅に向かう予定になっている。(木曜日は仕事)
富山地鉄の「ふたふた」は、自分がその最後の7年あまりを見守ってきた電車。

でも、あとちょっとのところで撮ることも乗ることも叶わなかった「22」に、とうとう会いに行けるチャンスがやって来たのである。

ということで...
……  ……

そう、「22」というと、自分にとって富山地鉄14722編成ということになるので、何度も撮りに行った分、いろいろなカットを撮ることができたのだった。

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【2019年9月25日15時59分】 富山地方鉄道上滝不二越線・月岡-開発

この記事でも、どのカットを選ぶか意外と迷った。その中から、「ふたふた」にとって最後の夏に撮った2枚を今日の記事に選んだ次第。

でも、この“雷鳥色”の電車、今では写真で在りし日を偲ぶことしかできない存在である。1両くらい保存してほしかったが...

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さて、今回、ようやく会いに行けることになった「22」とは...

「まったく手の届かないところにあるもの」よりも「あとちょっと手を伸ばせば届きそうなもの」の方が気になってしまう。

自分の場合、<鉄>であっても1978年生まれ、つまり、国鉄線上からは動態保存機を除いて蒸気機関車の運転は終了した後に生まれた世代なので、確かに、SL列車を撮りに行ったことは何度かあるが、昭和40年代の「SLブーム」は自分には“歴史上の事実”に過ぎず。
だからこそ、昨日の記事の「国鉄急行型」のように学生時代から若かった頃にかけて、その最後の活躍を、撮って乗って...を経験した車輌への思い入れが強くなり。

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【2022年10月25日10時44分】 福岡県福岡市東区箱崎・貝塚公園

いつかの記事でも書いたが、1回だけ乗車するチャンスを得た「20系寝台客車」が<変態鉄>の“永遠の憧れ”なのである。
高校生の頃、「手が届く」...というか、指先は辛うじて触れていた存在。でも、「撮る」「録る」「乗る」、いずれも納得できるほどではなく...。鉄道誌で、大阪-岡山間でお別れ運行を行ったということを事後に知り。

おっと、話が逸れている。

今回の「22」はディーゼル動車。「キハ22形」である。

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【2023年10月29日14時56分】 水島臨海鉄道・倉敷貨物ターミナル

今月末に会いに行く予定にしている「キハ20形」、コレの初期車のうち北海道向けに耐寒耐雪仕様を強化したのがキハ21形。
でも、デッキ無し2扉の車体では、北海道の寒さに耐えられるはずもなく。デッキと二重窓、北海道向けにつくられたのが「キハ22形」。
北海道では、やはり、重宝したようでローカルから時には急行列車にまで道南から道北、道東まで全道で活躍した車輌である。

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【1994年6月】 北海道帯広市幸福町・幸福駅跡

<変態鉄>が初めて渡道した1990年代半ば、高校生の頃は、辛うじて函館地区でワンマン化の上、ローカル運用を受け持っていた車輌があって。
チラッと見かけた記憶があるのだが、写真に撮ることも乗ってみることも考えなかった。そうこうしているうちに、いつの間にか姿を消しており。

北海道の多くの路線は国鉄末期に廃線となるが、その廃線跡には多くのキハ22形が保存されており。
「愛の国から幸福へ」、高校生の頃、路線バスで巡った旧広尾線・幸福駅にも2両のキハ22形が保存されており。

そのキハ22形、北海道の他、東北地方にも配置されており。そのうちの3両は下北交通に譲渡された。その廃止後、キハ22形...改め、下北交通キハ85形は、現在まで動態保存されており、冬場を除いて毎月1回の割合で公開運転が行われる。(ただし、中止になるケースもあるようで...)
ただ、下北半島の先の方にある...となっては、クルマの免許を持たない<変態鉄>にとって訪問は至難の業。それを今回、頑張って実現させてしまったのである。
ただし、<変態鉄>が東京-むつを単純往復するわけもなく。少し早めに出発する次第。

さて、そのキハ22形。

北海道の気象条件などに合って使いやすい車輌だったからか、類似車が北海道各地の炭礦鉄道に登場することになり。

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【2022年10月24日9時37分】 平成筑豊鉄道伊田線・金田駅

ただ、そういう炭礦鉄道がキハを新製して輸送の近代化に乗り出した直後に、国のエネルギー政策が転換され、炭鉱は閉山に追い込まれる。
まだ“新車”の域のディーゼル動車、他の路線に引き取られていったわけで。

そのうちのまとまった数がやって来たのが茨城交通湊線、現在のひたちなか海浜鉄道だった。いまでも終着駅・阿字ヶ浦駅構内にそのうちの2両が保存されており(→ こちら)。
ひたちなかでの引退後、1両は準急気動車色に塗られ、遠く、福岡県内で動態保存されており。

そんな訳で、類似車は何両か実見し、また、走行写真も撮ったことがあったが、“ホンモノの”キハ22形が動く姿を撮れるのは、今回が初めてになる。

さぁ、まもなく、<変態鉄>は北へ。でも、最初に乗る便は、ぬぁんと、伊丹ゆきである。果たして、<変態鉄>は東北の地にたどりつけるのか??

明日も、ちょっと“お知らせ”的な記事になり、その後はしばらく<速報版>となる予定。あしからず、ご了承を。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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