あぁ、麗しの「モントレー色」(新前橋の165系)
先日、新しいパソコンにスキャナーを繋ごうとしたのだが...
そのままUSBケーブルを挿してみたら動くかな...と思ったのは甘く。やはり、ドライバのファイルをダウンロードしておく必要があると。
そこでメーカーのページを検索した(つもりだった)のだが、Windows 10用のものが最後になっていて...
ということで、スキャナーの買い換えを検討していたのだった。しかし、<変態鉄>には常につきまとう大きな問題があって。
それは、もちろん...
「先立つもの」が著しく不足している...ということ。まだまだ大量に残っているネガもそろそろスキャンしていかないとならない。
しかし、最近のスキャナー、そんな需要はなくなっているからなのかフォルムスキャン対応機種というのは、かなりレアな存在になってきていて。
だからフツーの、ドキュメントスキャナーとネガの取り込み用のフィルムスキャナーの2台を用意しないといけなくて...
でも、「フィルムスキャナー」には泣かされたことがあって...。
ラクだと思って買ったら、かなりトイ的なつくりで。フィルムを1コマずつ送りながら、ホントにショボいトイ的なデジカメで撮るだけ。
色味もピントも、もうメチャクチャ。それ以来、「フィルムスキャナー」にはアレルギーのようなところがあって。
高級な機種(CCD式)を探すと、7~8万円くらい。う~ん...
これでしばらく悩んでいたのだが...
ダメ元でもう一度、検索してみると、いま使っているスキャナー、ちゃんと Canon のサイトにWindows 11用のドライバーが公開されていて。
ということで、古い写真を取り込めるようになったので、こういう話題も書いていけるのである。

【2013年4月19日10時15分】 しなの鉄道線・御代田-平原
さて、<変態鉄>が中学・高校の頃、JR線上にいる車輌の中で、一番好きだったのは「165系直流急行型電車」だった。
人気の特急列車にも、迫力ある長大貨物列車の先頭に立つ機関車にも、そして、当時活躍していた多彩なジョイフルトレインにも目もくれず...
4人掛けボックスシートがずらり並んだ...
ただし、急行運用は殆ど無く、大半はローカルか波動用になっており。それでも、近郊型電車とは“格”の違いを感じていた。
残念ながら、当時の自分、写真の腕前はいまよりも更に酷くて。
納得のいく写真など全く撮れていない。
辛うじて、その165系に碓氷峠での協調運転に対応させた169系の最後の活躍をしなの鉄道に撮りに行った位。
でも、そんな「165系直流急行型電車」シリーズの中で一番気になっていた存在が...
…… ……
90年代、<変態鉄>が初めて出会った「直流急行型」は、中学生になりたての頃、初めて“大垣夜行”で乗った165系電車だった。
当時、車輌形式などよく知らなかった<変態ガキ鉄>、てっきり、113系が来るのかと思ったら、「湘南色だが肩のところまでオレンジ色、2枚扉でボックスシートがズラッと並んで。そして、そのシートは普段よりちょっとだけ豪勢」という“謎の電車”がある...と。
それが「165系直流急行型電車」というのだと知ったのはちょっと後のこと。

【1993年頃】 東海道本線・東京駅
もはや「急行型」と言いつつ、急行運用というのは数えるほどだった。
その中でも、“孤高の存在”だったのが急行「東海」号、グリーン車「サロ165形」2両組込の11両編成(後に8両)、特急型とは違ったバージョンの鉄道唱歌のオルゴールが流れるのだった。
廃止(特急化)を目前に控えた時期に録音した車内放送を、拙ブログの解説初期、2011年末に記事で紹介している。(→ こちら)
でも、それは“例外中の例外”であって、当時、主な役割は短編成でローカル運用、あるいは、波動用ばかり。
幸い、長野支社や新潟支社の同系車が、京葉線の舞浜駅に隣接した施設への団体臨時列車で毎週末のように上京していた時期、高校生になっていた<変態鉄>も何度も撮りに訪れた(→ こちら)。
その頃、JR各社では“地域色”という、支社や車両基地、運用線区ごとに車体色を変える...というのが一般的になっていた。

【1994年頃】 山手線・恵比寿-渋谷
若かったから...だろうか、原色系の派手なカラーの方が好きだった当時の<変態ガキ鉄>。
気になっていたのが、高崎支社(新前橋電車区)の波動用165系、通称・モントレー塗装だった。
当時、葛西臨海公園駅のホーム端とともによく訪れた“撮影地”が、渋谷の都営バスの車庫の横にあった跨線橋。90年代半ばまでは特にフェンスもなく、まだ“湘南新宿ライン”なんて“夢のまた夢”、埼京線電車が走るとも知らなかった時期、EF65の牽引する貨物列車が時折通るだけの「山手貨物線」には、数多くの団体臨時列車が設定されており。
尤も、当たり前すぎて、余程のことが無い限り、他に撮影に訪れる人もなく。
大好きな「モントレー」が神奈川県内の小学生の修学旅行電車、いわゆる“日光集約臨”で渋谷を通ると聞いて。
だけど...
このタイミングで、まさに、この日、このときにEOSくんが故障して。こんな引きの、後追いカットが1コマ残っただけ。修理のときに途中でひっかかったフィルムを取り出すことになるので、その前後、いくつかのコマは犠牲になってしまったのである。
もちろん、恵比寿側から緩やかなカーブを進んでくる様を狙っていて。当時としては撮った瞬間、“手応えあり”だったのをよく覚えている。
その分、現像から帰ってきたネガを見たときのショックは大きかった。
いまなら“リベンジ!!”と叫んで撮り直しに出かけるが、高校生の時は時間も資金も限られており。撮り直しのチャンスが訪れたのは...

【1997年8月】 信越本線(当時)・横川-軽井沢
大学生になって。1997年、こちらも廃止間際。長野でのオリンピックを控え、新幹線にその役目を譲り、廃止となる信越本線の横川-軽井沢間に撮りに訪れたときだった。
鉄道誌はもちろん、一般の新聞・TVの報道も大きく。夏休みの1日、物凄い人だかりだった。

【1997年8月】 信越本線(当時)・軽井沢-横川
親の実家が富山という<変態鉄>にとって、ヨコカルは小学校に上がる前から知っていた地点だった。特急「白山」号で6時間かけて富山まで行っていた時代である。
ただ、その頃は“長い!!”というだけだった。新幹線(長岡乗り継ぎ)ができたときは画期的な速さに驚いたものである。
補機EF63形が“狙い”のこの場所で...

【1997年8月】 信越本線(当時)・横川-軽井沢
軽井沢に出かける人たちと<鉄>、信越本線はただならぬ混雑だった。
そうなると、やはり、波動用の車両が駆り出される訳で。新前橋の165系「モントレー」も6両で臨時快速に。
シャッターを切るタイミングが早すぎるのは、鉄道写真初心者の証。いつまで経っても「初心を忘れない」ではなく「初心者レベルを脱せない」のが<変態鉄>だが。

【1997年8月】 信越本線(当時)・横川-軽井沢
振り返って、ようやく、後押しするEF63形の姿を。
チラッと見える白い車体色が「モントレー」の証。

【1994年頃】 上越線・新前橋駅
当時の高崎支社、将来、博物館を作りたい...と思っていたとかいなかったとか。
後に一部は横川にできた施設の展示車両になったが大半は解体され。90年台半ばまでは新前橋駅のホーム向かい側に旧型客車をはじめとした希少車が留置...というか放置されており。
当時の<変態ガキ鉄>にとっては、鼻血が出そうなくらいコーフンするポイントだった。
さて、その「モントレー」。

【1994年頃】 群馬県高崎市・高崎駅付近
あの、青とピンクの派手なカラーの何が「モントレー」なのか、今の今まで知らなかった<変態鉄>。
この記事を書くのに当たって調べてみると、
上毛三山をイメージした塗色パターンから、
スペイン語の「山」を意味する「モントレー」と呼ばれ
という記載が複数のサイトになされていることを発見、なぜ、あの派手なカラーが“上毛三山をイメージした”結果なのかはさておき、ようやく納得できたのだった。
そんなわけで、スキャナーが“復活”したのを良いことに30年前の写真を掘り起こしてきたのだった。
あの頃、学生時代はそれはそれで辛いこともイヤなこともあったけれど、あの頃に戻ってみたい...と、そう思う今日この頃なのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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そのままUSBケーブルを挿してみたら動くかな...と思ったのは甘く。やはり、ドライバのファイルをダウンロードしておく必要があると。
そこでメーカーのページを検索した(つもりだった)のだが、Windows 10用のものが最後になっていて...
ということで、スキャナーの買い換えを検討していたのだった。しかし、<変態鉄>には常につきまとう大きな問題があって。
それは、もちろん...
「先立つもの」が著しく不足している...ということ。まだまだ大量に残っているネガもそろそろスキャンしていかないとならない。
しかし、最近のスキャナー、そんな需要はなくなっているからなのかフォルムスキャン対応機種というのは、かなりレアな存在になってきていて。
だからフツーの、ドキュメントスキャナーとネガの取り込み用のフィルムスキャナーの2台を用意しないといけなくて...
でも、「フィルムスキャナー」には泣かされたことがあって...。
ラクだと思って買ったら、かなりトイ的なつくりで。フィルムを1コマずつ送りながら、ホントにショボいトイ的なデジカメで撮るだけ。
色味もピントも、もうメチャクチャ。それ以来、「フィルムスキャナー」にはアレルギーのようなところがあって。
高級な機種(CCD式)を探すと、7~8万円くらい。う~ん...
これでしばらく悩んでいたのだが...
ダメ元でもう一度、検索してみると、いま使っているスキャナー、ちゃんと Canon のサイトにWindows 11用のドライバーが公開されていて。
ということで、古い写真を取り込めるようになったので、こういう話題も書いていけるのである。
【2013年4月19日10時15分】 しなの鉄道線・御代田-平原
さて、<変態鉄>が中学・高校の頃、JR線上にいる車輌の中で、一番好きだったのは「165系直流急行型電車」だった。
人気の特急列車にも、迫力ある長大貨物列車の先頭に立つ機関車にも、そして、当時活躍していた多彩なジョイフルトレインにも目もくれず...
4人掛けボックスシートがずらり並んだ...
ただし、急行運用は殆ど無く、大半はローカルか波動用になっており。それでも、近郊型電車とは“格”の違いを感じていた。
残念ながら、当時の自分、写真の腕前はいまよりも更に酷くて。
納得のいく写真など全く撮れていない。
辛うじて、その165系に碓氷峠での協調運転に対応させた169系の最後の活躍をしなの鉄道に撮りに行った位。
でも、そんな「165系直流急行型電車」シリーズの中で一番気になっていた存在が...
…… ……
90年代、<変態鉄>が初めて出会った「直流急行型」は、中学生になりたての頃、初めて“大垣夜行”で乗った165系電車だった。
当時、車輌形式などよく知らなかった<変態ガキ鉄>、てっきり、113系が来るのかと思ったら、「湘南色だが肩のところまでオレンジ色、2枚扉でボックスシートがズラッと並んで。そして、そのシートは普段よりちょっとだけ豪勢」という“謎の電車”がある...と。
それが「165系直流急行型電車」というのだと知ったのはちょっと後のこと。

【1993年頃】 東海道本線・東京駅
もはや「急行型」と言いつつ、急行運用というのは数えるほどだった。
その中でも、“孤高の存在”だったのが急行「東海」号、グリーン車「サロ165形」2両組込の11両編成(後に8両)、特急型とは違ったバージョンの鉄道唱歌のオルゴールが流れるのだった。
廃止(特急化)を目前に控えた時期に録音した車内放送を、拙ブログの解説初期、2011年末に記事で紹介している。(→ こちら)
でも、それは“例外中の例外”であって、当時、主な役割は短編成でローカル運用、あるいは、波動用ばかり。
幸い、長野支社や新潟支社の同系車が、京葉線の舞浜駅に隣接した施設への団体臨時列車で毎週末のように上京していた時期、高校生になっていた<変態鉄>も何度も撮りに訪れた(→ こちら)。
その頃、JR各社では“地域色”という、支社や車両基地、運用線区ごとに車体色を変える...というのが一般的になっていた。

【1994年頃】 山手線・恵比寿-渋谷
若かったから...だろうか、原色系の派手なカラーの方が好きだった当時の<変態ガキ鉄>。
気になっていたのが、高崎支社(新前橋電車区)の波動用165系、通称・モントレー塗装だった。
当時、葛西臨海公園駅のホーム端とともによく訪れた“撮影地”が、渋谷の都営バスの車庫の横にあった跨線橋。90年代半ばまでは特にフェンスもなく、まだ“湘南新宿ライン”なんて“夢のまた夢”、埼京線電車が走るとも知らなかった時期、EF65の牽引する貨物列車が時折通るだけの「山手貨物線」には、数多くの団体臨時列車が設定されており。
尤も、当たり前すぎて、余程のことが無い限り、他に撮影に訪れる人もなく。
大好きな「モントレー」が神奈川県内の小学生の修学旅行電車、いわゆる“日光集約臨”で渋谷を通ると聞いて。
だけど...
このタイミングで、まさに、この日、このときにEOSくんが故障して。こんな引きの、後追いカットが1コマ残っただけ。修理のときに途中でひっかかったフィルムを取り出すことになるので、その前後、いくつかのコマは犠牲になってしまったのである。
もちろん、恵比寿側から緩やかなカーブを進んでくる様を狙っていて。当時としては撮った瞬間、“手応えあり”だったのをよく覚えている。
その分、現像から帰ってきたネガを見たときのショックは大きかった。
いまなら“リベンジ!!”と叫んで撮り直しに出かけるが、高校生の時は時間も資金も限られており。撮り直しのチャンスが訪れたのは...

【1997年8月】 信越本線(当時)・横川-軽井沢
大学生になって。1997年、こちらも廃止間際。長野でのオリンピックを控え、新幹線にその役目を譲り、廃止となる信越本線の横川-軽井沢間に撮りに訪れたときだった。
鉄道誌はもちろん、一般の新聞・TVの報道も大きく。夏休みの1日、物凄い人だかりだった。

【1997年8月】 信越本線(当時)・軽井沢-横川
親の実家が富山という<変態鉄>にとって、ヨコカルは小学校に上がる前から知っていた地点だった。特急「白山」号で6時間かけて富山まで行っていた時代である。
ただ、その頃は“長い!!”というだけだった。新幹線(長岡乗り継ぎ)ができたときは画期的な速さに驚いたものである。
補機EF63形が“狙い”のこの場所で...

【1997年8月】 信越本線(当時)・横川-軽井沢
軽井沢に出かける人たちと<鉄>、信越本線はただならぬ混雑だった。
そうなると、やはり、波動用の車両が駆り出される訳で。新前橋の165系「モントレー」も6両で臨時快速に。
シャッターを切るタイミングが早すぎるのは、鉄道写真初心者の証。いつまで経っても「初心を忘れない」ではなく「初心者レベルを脱せない」のが<変態鉄>だが。

【1997年8月】 信越本線(当時)・横川-軽井沢
振り返って、ようやく、後押しするEF63形の姿を。
チラッと見える白い車体色が「モントレー」の証。

【1994年頃】 上越線・新前橋駅
当時の高崎支社、将来、博物館を作りたい...と思っていたとかいなかったとか。
後に一部は横川にできた施設の展示車両になったが大半は解体され。90年台半ばまでは新前橋駅のホーム向かい側に旧型客車をはじめとした希少車が留置...というか放置されており。
当時の<変態ガキ鉄>にとっては、鼻血が出そうなくらいコーフンするポイントだった。
さて、その「モントレー」。

【1994年頃】 群馬県高崎市・高崎駅付近
あの、青とピンクの派手なカラーの何が「モントレー」なのか、今の今まで知らなかった<変態鉄>。
この記事を書くのに当たって調べてみると、
上毛三山をイメージした塗色パターンから、
スペイン語の「山」を意味する「モントレー」と呼ばれ
という記載が複数のサイトになされていることを発見、なぜ、あの派手なカラーが“上毛三山をイメージした”結果なのかはさておき、ようやく納得できたのだった。
そんなわけで、スキャナーが“復活”したのを良いことに30年前の写真を掘り起こしてきたのだった。
あの頃、学生時代はそれはそれで辛いこともイヤなこともあったけれど、あの頃に戻ってみたい...と、そう思う今日この頃なのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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