それでは、車内放送のコレクションから。(02年8月 土讃線キハ65形 阿波池田 到着)
何やら...
年末年始のピーク時に、今夏、引退した381系特急「やくも」号が復活するのだとか。

【2024年5月31日15時08分】 伯備線・備中川面-方谷
引退しても定期検査...車検...の期限までに余裕のある車輌は、すぐには廃車の手続きをとらず臨時列車などに充当する...というのはよくあるパターンなので驚くこともないのだが。
まぁ、年末年始、高梁川橋梁のあたりは、またまた<鉄>が集結するのだろうか。ちなみに、<変態鉄>がそこに混ざって撮っている...という予定はない。
年始に更新を迎える、わが住まい。6年間過ごしたアパートを引き払う予定にしており。たぶん、1月に引っ越しとなる予定なので荷造りに勤しむ年末年始...となりそう。
さて、昨日の記事に書いた通り、2002年前後の旅行時に書き殴ったメモ。その束が実家の本棚から発掘されたので...
いままで断片化されていた記憶が1本の糸のようにつながってきたのだった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
というわけで、今日は、それによって日時が確認できた、2002年8月13日の午後、土讃線ローカルのキハ65形のデッキで録音した“♪四国チャイム”で始まる車内放送をご紹介したい。
いまから22年前、2002年の夏休み。
既に後継のキハ187系「スーパーおき」号がデビューして引退していたはずのキハ181系、その特急「おき」号の増発分に充当されている...という情報が。
それを撮って、録って...はハッキリ覚えていた。そこから、翌日、臨時夜行快速「ムーンライト八重垣」号で大阪に行ったのも覚えていた。
てっきり、そのまま新幹線で東京に戻ったものだとばかり思っていたのだが...
素直に東京に戻る<変態鉄>では無かったのである。どうやら、再び山陽本線を下って岡山へと向かった模様。…… ……
2002年8月。このとき、<変態鉄>は“2度目の大学生”だった。まぁ、いろいろと経緯もあって、フリーターのような生活を経て大学に入り直して。
2度目は理工学部だったから意外と忙しかったが、それでも、このときは1年生だったので夏休みを満喫することができた。アルバイトのシフトの隙間を狙えば遠出することも可能で。
そう、この年は8月に2回、西日本を巡っている。既に“風前の灯火”の感もあったが、国鉄型の車輌たちもまだまだ活躍していた時期、それらを記録したい...と。まだ20代、若さもあってか、いまでは考えられないようなスケジュールで動き回っていたみたい。
以前、ご紹介したキハ181系「おき93・94号」の撮影記。
15年前の山陰本線 - キハ181系臨時特急「おき94号」 (2017年8月17日公開)
こちら → https://gohachinihachi0309.blog.ss-blog.jp/2017-08-10

【2002年8月10日】 山陰本線・折居-三保三隅
すでに引退していたはずの米子のキハ181系が、山口線・山陰線特急「おき」号の増発に充当されている...との情報を得て、急遽、山陰本線を訪れたのは、2002年8月のこと。
撮った翌日は、キハ181系に乗ってみて。増発便らしく車内は閑散としており、その車内で録音を楽しんだが...
「初めての夜」(臨時快速「ムーンライト八重垣」02年8月) (2017年7月22日公開)
こちら → https://gohachinihachi0309.blog.ss-blog.jp/2017-07-22
その後は、臨時の夜行快速「ムーンライト八重垣」で大阪へ。
岡山駅で機関車の交換を含めて長時間停車。生まれて初めて、何にも分からないなりに“バルブ”(長時間露光)撮影を敢行した、ドキドキの初体験の夜だったのである。
8月12日の朝、大阪駅へ到着した<変態鉄>。折返し、姫路方面の電車に新快速電車に乗って。

【2024年5月31日12時42分】 伯備線・備中川面-方谷
岡山から快速「マリンライナー」で高松入りしている。メモには「サハ213-1」トップナンバー車だったみたい。
このときは全然、そういうのを撮っていなくて。単なる“移動手段”だった。そんな213系、伯備線ローカルに転じて余生を送っている姿を先日、撮ったのはご紹介した通り。
まだ旧型車が定期運用にも入っていた「ことでん」の撮影と、うどん店巡りを楽しんだ後...
2002年8月13日(火)晴れ
昼に高松から阿波池田へと下っていく土讃線ローカルに2本続けて、キハ65 + キハ58編成が充当されていた。
国鉄時代の気動車急行全盛期...に比べたら迫力を欠く2連の小編成だが、それでも四国山地を駆け抜けていく国鉄型キハは乗るのも録るのも楽しい列車だった。

【2002年8月】 予讃線・高松駅
この日はその下り2連ローカルの阿波池田ゆき、その1本目、11:53発で阿波池田へと向かった。
高松 11:53発 普通・阿波池田ゆき
↑ 阿波池田
キハ65 26 四マツ
キハ58 774 四マツ
キハ58形は“近郊型改造車”、便洗設備を撤去、デッキも仕切り壁を取り払っていて。

【2015年10月27日13時49分】 愛媛県西条市・四国鉄道文化館(キハ65 34号車)
もともと、キハ65形はキハ58形との混結を前提に設計されたのでトイレ設備を付けておらず、つまり、トイレ無しの列車だった。

【2002年8月13日】 土讃線・讃岐財田駅
でも、キハ65形はデッキは残されていて。枕付きの派手なシートに交換されている以外、急行型ディーゼル動車らしい車内をよく残していた。
当時、四国ではローカル列車にトイレが付いてないのは珍しくないことで。1000番台の形式を持つディーゼル動車へのトイレ取り付け改造が始まるのは、もうちょっと後だったような気がする。

【2007年8月】 土讃線・箸蔵-佃
高松を出てすぐ、端岡駅でさっそく快速「マリンライナー」と特急の待避があって長時間停車したり...
坂出でまとまった乗車があって琴平あたりまでは混雑したが、そこから吉野川鉄橋へと四国山地に分け入っていく区間は乗客数は僅か。
琴平から阿波池田に至る区間、それが「土讃線のハイライト」だと思っている。ローカル列車でも特急「南風」でも、ここを通るのを楽しみにしている。
大きな“Ω”を描くように対岸に線路を見ながら急勾配を下って、吉野川鉄橋へと差し掛かるあたり...、眩しくて迷惑なのは分かるが特急「南風」に乗ったらカーテンを開け放って車窓を眺めるのが<変態鉄>なのである。
最後の停車駅は、その吉野川沿いにある小さな集落の駅。徳島線が分岐する佃駅に停まったら、再び下り勾配を...

【2015年10月27日13時50分】 愛媛県西条市・四国鉄道文化館(キハ65 34号車)
デッキに立って録音したのだった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
声のトーンから考えると、結構、若い車掌さんだったのだろうか。
「今日もJR四国をご利用いただき、ありがとうございました。」
簡潔ながら好放送である。
特急「南風」と高知方面のローカル列車の乗り継ぎ案内。24時間制で時刻を告げた後、12時間制で言い直すのは、この当時、多かったアナウンスのように思う。
最後に「車内禁煙のご協力ありがとうございました。」を2回繰り返しているのは、ちょっと珍しいかも。

【2015年10月27日13時50分】 愛媛県西条市・四国鉄道文化館(キハ65 34号車)
後日、別の列車で車掌さんに伺ったところ、JR四国では、こういう国鉄型の、チャイムの付いた放送装置のある車輌の場合、車内放送にチャイムを「入れても入れなくても良い」と指導していたそうで。
意外とチャイムが流れる確率は高かったのである。
国鉄型キハのシンボル、電話の受話器のような制御増幅器、その下側にゼンマイが付いていて。
でも、四国車だけは早い時期に“アルプスの牧場”のオルゴールを撤去して「四国チャイム」に交換。
この受話器のようなヤツ、その側面にある「放」と書かれた方の押しボタンを押している間だけ車内放送が流れる。前後チャイムで鳴らしてくれているが、「放」ボタンから早めに手を離したようで、最後のチャイムはちょっと“尻切れ”になっているのがご愛敬。

【2007年8月】 土讃線・阿波池田駅
ちなみに、このキハ編成、2本を阿波池田で繋いで4連になって、16時発の快速「サンポート」号として高松に戻ってくる運用になっていた。
それには乗らなかったのか???
そう、この日は3両に増結されても超満員になった徳島線で徳島へ。ガードレールを足場に標識柱によじ登って「阿波踊り」を見学した。
そして、満員の特急「うずしお」号で高松へ、夜行高速バス「ドリーム高松」号で東京に戻ったという。トイレ付近の席をあてがわれ、どうしても座席をリクライニングさせられず難儀した...とメモが残っていた。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。

にほんブログ村
年末年始のピーク時に、今夏、引退した381系特急「やくも」号が復活するのだとか。
【2024年5月31日15時08分】 伯備線・備中川面-方谷
引退しても定期検査...車検...の期限までに余裕のある車輌は、すぐには廃車の手続きをとらず臨時列車などに充当する...というのはよくあるパターンなので驚くこともないのだが。
まぁ、年末年始、高梁川橋梁のあたりは、またまた<鉄>が集結するのだろうか。ちなみに、<変態鉄>がそこに混ざって撮っている...という予定はない。
年始に更新を迎える、わが住まい。6年間過ごしたアパートを引き払う予定にしており。たぶん、1月に引っ越しとなる予定なので荷造りに勤しむ年末年始...となりそう。
さて、昨日の記事に書いた通り、2002年前後の旅行時に書き殴ったメモ。その束が実家の本棚から発掘されたので...
いままで断片化されていた記憶が1本の糸のようにつながってきたのだった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
というわけで、今日は、それによって日時が確認できた、2002年8月13日の午後、土讃線ローカルのキハ65形のデッキで録音した“♪四国チャイム”で始まる車内放送をご紹介したい。
いまから22年前、2002年の夏休み。
既に後継のキハ187系「スーパーおき」号がデビューして引退していたはずのキハ181系、その特急「おき」号の増発分に充当されている...という情報が。
それを撮って、録って...はハッキリ覚えていた。そこから、翌日、臨時夜行快速「ムーンライト八重垣」号で大阪に行ったのも覚えていた。
てっきり、そのまま新幹線で東京に戻ったものだとばかり思っていたのだが...
素直に東京に戻る<変態鉄>では無かったのである。どうやら、再び山陽本線を下って岡山へと向かった模様。…… ……
2002年8月。このとき、<変態鉄>は“2度目の大学生”だった。まぁ、いろいろと経緯もあって、フリーターのような生活を経て大学に入り直して。
2度目は理工学部だったから意外と忙しかったが、それでも、このときは1年生だったので夏休みを満喫することができた。アルバイトのシフトの隙間を狙えば遠出することも可能で。
そう、この年は8月に2回、西日本を巡っている。既に“風前の灯火”の感もあったが、国鉄型の車輌たちもまだまだ活躍していた時期、それらを記録したい...と。まだ20代、若さもあってか、いまでは考えられないようなスケジュールで動き回っていたみたい。
以前、ご紹介したキハ181系「おき93・94号」の撮影記。
15年前の山陰本線 - キハ181系臨時特急「おき94号」 (2017年8月17日公開)
こちら → https://gohachinihachi0309.blog.ss-blog.jp/2017-08-10

【2002年8月10日】 山陰本線・折居-三保三隅
すでに引退していたはずの米子のキハ181系が、山口線・山陰線特急「おき」号の増発に充当されている...との情報を得て、急遽、山陰本線を訪れたのは、2002年8月のこと。
撮った翌日は、キハ181系に乗ってみて。増発便らしく車内は閑散としており、その車内で録音を楽しんだが...
「初めての夜」(臨時快速「ムーンライト八重垣」02年8月) (2017年7月22日公開)
こちら → https://gohachinihachi0309.blog.ss-blog.jp/2017-07-22
その後は、臨時の夜行快速「ムーンライト八重垣」で大阪へ。
岡山駅で機関車の交換を含めて長時間停車。生まれて初めて、何にも分からないなりに“バルブ”(長時間露光)撮影を敢行した、ドキドキの初体験の夜だったのである。
8月12日の朝、大阪駅へ到着した<変態鉄>。折返し、姫路方面の電車に新快速電車に乗って。
【2024年5月31日12時42分】 伯備線・備中川面-方谷
岡山から快速「マリンライナー」で高松入りしている。メモには「サハ213-1」トップナンバー車だったみたい。
このときは全然、そういうのを撮っていなくて。単なる“移動手段”だった。そんな213系、伯備線ローカルに転じて余生を送っている姿を先日、撮ったのはご紹介した通り。
まだ旧型車が定期運用にも入っていた「ことでん」の撮影と、うどん店巡りを楽しんだ後...
2002年8月13日(火)晴れ
昼に高松から阿波池田へと下っていく土讃線ローカルに2本続けて、キハ65 + キハ58編成が充当されていた。
国鉄時代の気動車急行全盛期...に比べたら迫力を欠く2連の小編成だが、それでも四国山地を駆け抜けていく国鉄型キハは乗るのも録るのも楽しい列車だった。

【2002年8月】 予讃線・高松駅
この日はその下り2連ローカルの阿波池田ゆき、その1本目、11:53発で阿波池田へと向かった。
高松 11:53発 普通・阿波池田ゆき
↑ 阿波池田
キハ65 26 四マツ
キハ58 774 四マツ
キハ58形は“近郊型改造車”、便洗設備を撤去、デッキも仕切り壁を取り払っていて。
【2015年10月27日13時49分】 愛媛県西条市・四国鉄道文化館(キハ65 34号車)
もともと、キハ65形はキハ58形との混結を前提に設計されたのでトイレ設備を付けておらず、つまり、トイレ無しの列車だった。

【2002年8月13日】 土讃線・讃岐財田駅
でも、キハ65形はデッキは残されていて。枕付きの派手なシートに交換されている以外、急行型ディーゼル動車らしい車内をよく残していた。
当時、四国ではローカル列車にトイレが付いてないのは珍しくないことで。1000番台の形式を持つディーゼル動車へのトイレ取り付け改造が始まるのは、もうちょっと後だったような気がする。

【2007年8月】 土讃線・箸蔵-佃
高松を出てすぐ、端岡駅でさっそく快速「マリンライナー」と特急の待避があって長時間停車したり...
坂出でまとまった乗車があって琴平あたりまでは混雑したが、そこから吉野川鉄橋へと四国山地に分け入っていく区間は乗客数は僅か。
琴平から阿波池田に至る区間、それが「土讃線のハイライト」だと思っている。ローカル列車でも特急「南風」でも、ここを通るのを楽しみにしている。
大きな“Ω”を描くように対岸に線路を見ながら急勾配を下って、吉野川鉄橋へと差し掛かるあたり...、眩しくて迷惑なのは分かるが特急「南風」に乗ったらカーテンを開け放って車窓を眺めるのが<変態鉄>なのである。
最後の停車駅は、その吉野川沿いにある小さな集落の駅。徳島線が分岐する佃駅に停まったら、再び下り勾配を...
【2015年10月27日13時50分】 愛媛県西条市・四国鉄道文化館(キハ65 34号車)
デッキに立って録音したのだった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
声のトーンから考えると、結構、若い車掌さんだったのだろうか。
「今日もJR四国をご利用いただき、ありがとうございました。」
簡潔ながら好放送である。
特急「南風」と高知方面のローカル列車の乗り継ぎ案内。24時間制で時刻を告げた後、12時間制で言い直すのは、この当時、多かったアナウンスのように思う。
最後に「車内禁煙のご協力ありがとうございました。」を2回繰り返しているのは、ちょっと珍しいかも。
【2015年10月27日13時50分】 愛媛県西条市・四国鉄道文化館(キハ65 34号車)
後日、別の列車で車掌さんに伺ったところ、JR四国では、こういう国鉄型の、チャイムの付いた放送装置のある車輌の場合、車内放送にチャイムを「入れても入れなくても良い」と指導していたそうで。
意外とチャイムが流れる確率は高かったのである。
国鉄型キハのシンボル、電話の受話器のような制御増幅器、その下側にゼンマイが付いていて。
でも、四国車だけは早い時期に“アルプスの牧場”のオルゴールを撤去して「四国チャイム」に交換。
この受話器のようなヤツ、その側面にある「放」と書かれた方の押しボタンを押している間だけ車内放送が流れる。前後チャイムで鳴らしてくれているが、「放」ボタンから早めに手を離したようで、最後のチャイムはちょっと“尻切れ”になっているのがご愛敬。

【2007年8月】 土讃線・阿波池田駅
ちなみに、このキハ編成、2本を阿波池田で繋いで4連になって、16時発の快速「サンポート」号として高松に戻ってくる運用になっていた。
それには乗らなかったのか???
そう、この日は3両に増結されても超満員になった徳島線で徳島へ。ガードレールを足場に標識柱によじ登って「阿波踊り」を見学した。
そして、満員の特急「うずしお」号で高松へ、夜行高速バス「ドリーム高松」号で東京に戻ったという。トイレ付近の席をあてがわれ、どうしても座席をリクライニングさせられず難儀した...とメモが残っていた。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。

にほんブログ村
この記事へのコメント