2024年GWは、新見へ、堺へ(51=最終回)そして、南海の「お銀」を
「あのときの銀奴(ぎんやっこ)!! 貴様...、裏切ったな!!」
「ええい、構わん。この田舎爺(= 水戸のご老公)どもを、切り捨てぃ〜!!」
悪代官が怒りに任せて配下に命じる。
瞬間、真っ白なヒゲを蓄えた“越後のちりめん問屋のご隠居”の眼差しが厳しくなって。
「助さん、格さん、懲らしめておやりなさい!!」
まぁ、だいたい、この場面が毎週、夜8時40分前後のことだろうか。毎回、舞台となる町の名前など設定はちょっとずつ違うのだが、“安定感”を通り越して、必ず...といっていいくらい同じストーリー。それでも高視聴率番組だったのが「水戸黄門」。それだけ、誰からも愛される安心して視られる作品だったということか。
<変態鉄>が子どもの頃、やはり、自宅のTVでも毎週、「水戸黄門」を。当時、TBS系の夜の時代劇と言えば、1年を半分に分けて「水戸黄門」「大岡越前」のパターンと決まっていた。
♪ 明るい〜 ナショナル〜
のCM曲で始まる1社提供番組だったのもしっかり覚えている。<変態鉄>は、水戸黄門と言えば西村晃...という世代である。
そして、由美かおる演じる、かげろうお銀が入浴するシーンが必ず番組中盤にある...というのも、1つ、お決まりのパターンだった。
「お銀さん」といえば、あの姿。

【2024年5月5日15時09分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
最近、「お銀」というコトバが<鉄>の間で。
昭和30年代に入って、それまで鋼鉄で作るのが当たり前だった鉄道車両にも、ステンレス車体が取り入れられ。
車体強度を保つため側面は波状(コルゲート)になり。そして、ステンレスならではの特徴として、無塗装のギンギラギンの車体。
東の東急、西の南海が早い時期にステンレス車を導入している。無塗装で良いなど利点はあっても、加工が難しいのがステンレスの難点。
そのあたりもあったようで、踏切事故が多かった南海線は普通鋼製、高野線の電車には早い時期からステンレス車体が。
いまでこそ、オレンジと藍色のコーポレートカラーの帯が入るが、当時は本当にギンギラギン。
その「第1期生」にあたる、6000系電車がまもなく引退...という時期になって、6両編成1本が、当初の無塗装の姿に復元され。関西の<鉄>の間で付いた渾名が「お銀」だったのである。
通勤路線から山岳路線へと姿を変えながら長距離を走る路線。たった1本の編成が撮れるという確率は低く。それでも...
…… ……
2024年5月5日(日)晴れ
やはり、ネットをチェックしている...ということだろうか。
自分の周りにも少しずつ<鉄>の姿が。ただ、撮影ポジションを巡って小競り合いが起きたり、怒号と罵声がこだましたり...ということは一切なく。
自分の居る踏切も、どう見ても「定員1名」だが、後から来た人は<変態鉄>の立ち位置とカメラの構え方を確認したうえで、邪魔にならない撮り方を工夫してくれる...ということで、まぁ、大概の<鉄>はそうやって撮っているわけで。
確かに、面倒くさい奴も実在するが、メディアなどで言われているのは大半は、その極端な事象である...というのが、当事者たる<変態鉄>の見解。

【2024年5月5日15時06分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
さぁ、まもなく、その「お銀」の通過予定時刻。
最後の試し撮りになったのは、林間田園都市ゆき区間準急。この感覚だけは忘れないように...
そして、再び、踏切機が鳴り出す。「→」の向きが下り電車の通過を示しており。心の中では「←」の点灯だけは...
もう、コレは祈るしかないのである。13時台は上下電車が被ることが多かったが、ここのところ、その“被害”は少なくなってきており。
ただ、そればかりは分からない。すべては、「時の運」。

【2024年5月5日15時09分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
さぁ、スピードを上げて浅香山駅を通過した「お銀」が視界に入ってきた。
この時点でも、踏切機の上り列車接近を示す矢印は点灯せず。でも、心臓バクバク、シャッターを押す指にも力が入る。

【2024年5月5日15時09分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
撮った瞬間、手応えがあって...
とはいえ、それを確認する間もなく、すかさず振り返って。

【2024年5月5日15時09分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
上り方、難波側が「6001」号車、トップナンバー車である。
予定より長く撮っていた分、最高の結末になったのである。
さぁ、あとは堺駅前のホテルに立ち寄って伊丹空港に向かうだけ。錦綾町バス停に行ってみると、ちょうど良い感じで堺東駅前ゆきのバス。
これと、「堺シャトル」を乗り継いで...。
そして、再び「堺シャトル」で大小路電停へ。

【2024年5月5日16時02分】 阪堺電気軌道阪堺線・大小路電停
南海電車で難波駅に向かったほうが合理的だが、フリーきっぷを持っているとなれば、<ケチ鉄>としては天王寺駅前まで阪堺電車...しか考えられないのである。
向かい側、下り側に1101号車が到着。
まぁ、それだけだったら当たり前の風景なのだが...

【2024年5月5日16時03分】 阪堺電気軌道阪堺線・大小路電停
ぬぁんと、浜寺駅前ゆき電車が2本続いており。日中12〜14分間隔となれば、なかなか2両続行のような形になることは珍しく。
途中駅での運賃収受に手間取ったとか、団体乗車があった...とかで、多少、遅れが生じていたのだろうか。

【2024年5月5日16時12分】 阪堺電気軌道阪堺線・大小路電停
そして、こちらの、天王寺駅前ゆき電車は質屋さんカラーのモ711号車。
この写真、目を凝らすと、ちょうど御陵前付近に差し掛かった1101号車がチラッと見えている。
そして、この電車に乗り込んだ直後だったのだ。

【2024年5月5日16時16分】 阪堺電気軌道阪堺線・モ711号車内
車内は満席。大きなバッグを持っていた<変態鉄>は後部運転台付近に立つことにして。
天王寺駅前に向けて発車直後、花田口付近だっただろうか。不意に視界に飛び込んできたのは、モ161号車だった。濃緑色の...
この連休期間、自分は3日を阪堺モ161形車撮影に充てたわけだが、3日間ともモ162号車を撮ることになって...。モ161号車の走行シーンは撮れずじまいだった。
さぁ、どうする???
浜寺に向かった電車は、絶対に我孫子道に戻ってくる。ということは、途中で下りてカメラを構えたら絶対に撮ることができるのである。夜のヒコーキを予約しており、伊丹には特に急がなくても間に合う。一瞬、降車ブザーに手が伸びかけたが、荷物の重さと空腹。
迷いに迷った挙げ句、そのまま天王寺駅前まで乗り通したのだった。

【2024年5月5日18時27分】 大阪府豊中市蛍池・大阪国際空港
あべの橋で遅めの昼食を済ませたら、いつも通り、リムジンバスで伊丹空港へ。思ったよりも道路は順調で、定刻よりも早く30分かからずに伊丹空港に到着、混雑するロビー内で時間を過ごして、NH40便に乗り込んだのだった。(おわり)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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「ええい、構わん。この田舎爺(= 水戸のご老公)どもを、切り捨てぃ〜!!」
悪代官が怒りに任せて配下に命じる。
瞬間、真っ白なヒゲを蓄えた“越後のちりめん問屋のご隠居”の眼差しが厳しくなって。
「助さん、格さん、懲らしめておやりなさい!!」
まぁ、だいたい、この場面が毎週、夜8時40分前後のことだろうか。毎回、舞台となる町の名前など設定はちょっとずつ違うのだが、“安定感”を通り越して、必ず...といっていいくらい同じストーリー。それでも高視聴率番組だったのが「水戸黄門」。それだけ、誰からも愛される安心して視られる作品だったということか。
<変態鉄>が子どもの頃、やはり、自宅のTVでも毎週、「水戸黄門」を。当時、TBS系の夜の時代劇と言えば、1年を半分に分けて「水戸黄門」「大岡越前」のパターンと決まっていた。
♪ 明るい〜 ナショナル〜
のCM曲で始まる1社提供番組だったのもしっかり覚えている。<変態鉄>は、水戸黄門と言えば西村晃...という世代である。
そして、由美かおる演じる、かげろうお銀が入浴するシーンが必ず番組中盤にある...というのも、1つ、お決まりのパターンだった。
「お銀さん」といえば、あの姿。
【2024年5月5日15時09分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
最近、「お銀」というコトバが<鉄>の間で。
昭和30年代に入って、それまで鋼鉄で作るのが当たり前だった鉄道車両にも、ステンレス車体が取り入れられ。
車体強度を保つため側面は波状(コルゲート)になり。そして、ステンレスならではの特徴として、無塗装のギンギラギンの車体。
東の東急、西の南海が早い時期にステンレス車を導入している。無塗装で良いなど利点はあっても、加工が難しいのがステンレスの難点。
そのあたりもあったようで、踏切事故が多かった南海線は普通鋼製、高野線の電車には早い時期からステンレス車体が。
いまでこそ、オレンジと藍色のコーポレートカラーの帯が入るが、当時は本当にギンギラギン。
その「第1期生」にあたる、6000系電車がまもなく引退...という時期になって、6両編成1本が、当初の無塗装の姿に復元され。関西の<鉄>の間で付いた渾名が「お銀」だったのである。
通勤路線から山岳路線へと姿を変えながら長距離を走る路線。たった1本の編成が撮れるという確率は低く。それでも...
…… ……
2024年5月5日(日)晴れ
やはり、ネットをチェックしている...ということだろうか。
自分の周りにも少しずつ<鉄>の姿が。ただ、撮影ポジションを巡って小競り合いが起きたり、怒号と罵声がこだましたり...ということは一切なく。
自分の居る踏切も、どう見ても「定員1名」だが、後から来た人は<変態鉄>の立ち位置とカメラの構え方を確認したうえで、邪魔にならない撮り方を工夫してくれる...ということで、まぁ、大概の<鉄>はそうやって撮っているわけで。
確かに、面倒くさい奴も実在するが、メディアなどで言われているのは大半は、その極端な事象である...というのが、当事者たる<変態鉄>の見解。
【2024年5月5日15時06分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
さぁ、まもなく、その「お銀」の通過予定時刻。
最後の試し撮りになったのは、林間田園都市ゆき区間準急。この感覚だけは忘れないように...
そして、再び、踏切機が鳴り出す。「→」の向きが下り電車の通過を示しており。心の中では「←」の点灯だけは...
もう、コレは祈るしかないのである。13時台は上下電車が被ることが多かったが、ここのところ、その“被害”は少なくなってきており。
ただ、そればかりは分からない。すべては、「時の運」。
【2024年5月5日15時09分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
さぁ、スピードを上げて浅香山駅を通過した「お銀」が視界に入ってきた。
この時点でも、踏切機の上り列車接近を示す矢印は点灯せず。でも、心臓バクバク、シャッターを押す指にも力が入る。
【2024年5月5日15時09分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
撮った瞬間、手応えがあって...
とはいえ、それを確認する間もなく、すかさず振り返って。
【2024年5月5日15時09分】 南海電鉄高野線・浅香山-堺東
上り方、難波側が「6001」号車、トップナンバー車である。
予定より長く撮っていた分、最高の結末になったのである。
さぁ、あとは堺駅前のホテルに立ち寄って伊丹空港に向かうだけ。錦綾町バス停に行ってみると、ちょうど良い感じで堺東駅前ゆきのバス。
これと、「堺シャトル」を乗り継いで...。
そして、再び「堺シャトル」で大小路電停へ。
【2024年5月5日16時02分】 阪堺電気軌道阪堺線・大小路電停
南海電車で難波駅に向かったほうが合理的だが、フリーきっぷを持っているとなれば、<ケチ鉄>としては天王寺駅前まで阪堺電車...しか考えられないのである。
向かい側、下り側に1101号車が到着。
まぁ、それだけだったら当たり前の風景なのだが...
【2024年5月5日16時03分】 阪堺電気軌道阪堺線・大小路電停
ぬぁんと、浜寺駅前ゆき電車が2本続いており。日中12〜14分間隔となれば、なかなか2両続行のような形になることは珍しく。
途中駅での運賃収受に手間取ったとか、団体乗車があった...とかで、多少、遅れが生じていたのだろうか。
【2024年5月5日16時12分】 阪堺電気軌道阪堺線・大小路電停
そして、こちらの、天王寺駅前ゆき電車は質屋さんカラーのモ711号車。
この写真、目を凝らすと、ちょうど御陵前付近に差し掛かった1101号車がチラッと見えている。
そして、この電車に乗り込んだ直後だったのだ。
【2024年5月5日16時16分】 阪堺電気軌道阪堺線・モ711号車内
車内は満席。大きなバッグを持っていた<変態鉄>は後部運転台付近に立つことにして。
天王寺駅前に向けて発車直後、花田口付近だっただろうか。不意に視界に飛び込んできたのは、モ161号車だった。濃緑色の...
この連休期間、自分は3日を阪堺モ161形車撮影に充てたわけだが、3日間ともモ162号車を撮ることになって...。モ161号車の走行シーンは撮れずじまいだった。
さぁ、どうする???
浜寺に向かった電車は、絶対に我孫子道に戻ってくる。ということは、途中で下りてカメラを構えたら絶対に撮ることができるのである。夜のヒコーキを予約しており、伊丹には特に急がなくても間に合う。一瞬、降車ブザーに手が伸びかけたが、荷物の重さと空腹。
迷いに迷った挙げ句、そのまま天王寺駅前まで乗り通したのだった。
【2024年5月5日18時27分】 大阪府豊中市蛍池・大阪国際空港
あべの橋で遅めの昼食を済ませたら、いつも通り、リムジンバスで伊丹空港へ。思ったよりも道路は順調で、定刻よりも早く30分かからずに伊丹空港に到着、混雑するロビー内で時間を過ごして、NH40便に乗り込んだのだった。(おわり)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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