消印の中の鉄道情景(71)今泉郵便局(静岡県)
先週の酷かった腹痛は、すっかり落ち着いているのだが、その薬の副作用でお腹の調子は悪いまま。会社でも何度もトイレにいく生活が続いており。
何だか体調面は一進一退の状況なのである。
ということで、今日は小湊鐵道の話題をお休みして、風景印をご紹介したい。
さて、岳南電車のキャラクターと言えば「岳ちゃん」(→ こちら)、オレンジ色の7000形電車をモチーフに...

例えば、「人形焼」、これ、甘すぎず食べやすくて飽きの来ない味で。次回の訪問時にも買おうと思っているのだが...
吉原駅の改札前のスペースでさまざまなグッズが販売されているのだが、そこにも「岳ちゃん」の姿が。そんな「岳ちゃん」、実は郵便局の消印の意匠にもなっており。
ということで、あの日、岳南原田駅で下車して...
…… ……
日中時間帯、上下列車の交換が行われるのが岳南原田駅。

【2021年10月6日12時38分】 岳南電車・岳南原田駅
ちょうど訪れた日は、7001号車と7003号車、単行の同型車2両が運用に入っており。
その姿はちょっと撮りづらいのだが...

【2021年10月6日13時02分】 岳南電車・岳南原田駅
うどんと蕎麦のお店も気になるのだが...

【2021年10月6日12時42分】 岳南電車・岳南原田駅付近
駅を出れば、間近に迫ってくるような...やはり、富士山は大きく見えるのである。
冬場は自宅近くからも富士山が見えるが、いや、東京で見るのとは全く違っていて。
岳南原田駅を出て、駅前のバス通りを...
片側1車線の決して広くはない道、工業地帯だけあって大型トラックを含めてクルマの通りは非常に多く。その歩道をとにかく西へ。
最初、左手に見えていた岳南電車の線路は南へと進路を変えて、通りから遠ざかっていき...

【2021年10月6日12時46分】 静岡県富士市今泉付近
交差点を過ぎてしばらく行くと、正面に小さな郵便局が見えてくる。
今泉郵便局である。<鉄>としては今泉駅が最寄り駅と考えがちだが、調べてみるとアクセスは岳南原田駅の方が便利な感じだった。これはよくあるケース。
いつもの通り、郵便の窓口でハガキを1枚買って、局員さんに記念押印をお願いするのだった。
その風景印が...

やはり、「岳ちゃん」である。
全国で5,000~6,000程度あると言われている風景印、意外と改廃が激しく。でも、その情報は日本郵便のウェブサイトに掲載される。
その際、新規に置かれたり、あるいは意匠を変更した新バージョンがスタートする際には、その意匠の説明文も掲載されており。
この今泉郵便局の風景印は、2013年11月に使用開始になったとのこと。
その説明には
富士山の湧き水が流れる田宿川と郷土の誇り岳南鉄道
参照 https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/fuke/detail.php?id=521
そう、岳南電車は「郷土の誇り」と明記されているのである。もちろん、車番が7002であるとは書かれてはいないが、何だかこのアングル、そして、電車の表情は「岳ちゃん」だと思わずに居られなかった。

同じ井の頭線3000系を改造した仲間には、同社に他に2両固定編成の8000形も居るのだが...
(冒頭の「人形焼」の包装紙にある緑色の電車)
そのあたりの詮索はこれくらいにして。

【2021年10月6日12時24分】 岳南電車・岳南富士岡駅
今では7002号車は岳南富士岡駅の留置線の西端に留置されている。
井の頭線3000系は、18メートル級ステンレス車体というのが好感されたのか、各地の私鉄に譲渡された。そのうち、岳南に譲渡された車両の特徴は「初期車の多さ」。

【1996年1月】 京王井の頭線・高井戸駅
特に、7002、7003の2両は最初期に4両編成で導入された“狭幅車”の増結用につくられ、渋谷寄り2両目に組み込まれた1M車(モハ3100)がタネ車で。
写真でも2両目だけ裾絞りのある“広幅車体”が外側にちょっと飛び出している。真四角な車体と片開き扉が初期の2編成だけの特徴だった。
この「狭幅車」、自分が井の頭線沿いに越してきた94年の時点では既に予備車的存在で、運がよければ朝ラッシュのピーク時に渋谷-富士見ヶ丘の区間運用に1~2往復だけ出てくる...ような存在だった。
高校生のとき、この「狭幅車」にどうしても乗りたくて。
富士見ヶ丘駅のホームでずっと待って、乗っていったことがあった。
もちろん、96年に今の1000系の投入が始まると、真っ先に廃車になったのもこの編成だった。
まだ線路ヨコのフェンスができる前、高井戸駅のホーム端で引退間際に一度だけ撮った。当時、高校3年生、年明け、大学入試センター試験を間近に控えての<鉄>活動だったのである。
実は「狭幅車」は、そのまま北陸鉄道に譲渡され、こちらは浅野川線で走っていたが、後継となる東京メトロ03系改造車の投入が進められており。一度は撮りたいのだが...
う~ん、やはり、30年近く利用している井の頭線。その話題になると止まらなくなってしまう...
風景印の紹介のつもりが、井の頭線3000系の思い出話になってしまったような、今日は、そんな何だか謎な記事で。
明日は小湊鐵道の話題を続けていきたい。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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何だか体調面は一進一退の状況なのである。
ということで、今日は小湊鐵道の話題をお休みして、風景印をご紹介したい。
さて、岳南電車のキャラクターと言えば「岳ちゃん」(→ こちら)、オレンジ色の7000形電車をモチーフに...
例えば、「人形焼」、これ、甘すぎず食べやすくて飽きの来ない味で。次回の訪問時にも買おうと思っているのだが...
吉原駅の改札前のスペースでさまざまなグッズが販売されているのだが、そこにも「岳ちゃん」の姿が。そんな「岳ちゃん」、実は郵便局の消印の意匠にもなっており。
ということで、あの日、岳南原田駅で下車して...
…… ……
日中時間帯、上下列車の交換が行われるのが岳南原田駅。
【2021年10月6日12時38分】 岳南電車・岳南原田駅
ちょうど訪れた日は、7001号車と7003号車、単行の同型車2両が運用に入っており。
その姿はちょっと撮りづらいのだが...
【2021年10月6日13時02分】 岳南電車・岳南原田駅
うどんと蕎麦のお店も気になるのだが...
【2021年10月6日12時42分】 岳南電車・岳南原田駅付近
駅を出れば、間近に迫ってくるような...やはり、富士山は大きく見えるのである。
冬場は自宅近くからも富士山が見えるが、いや、東京で見るのとは全く違っていて。
岳南原田駅を出て、駅前のバス通りを...
片側1車線の決して広くはない道、工業地帯だけあって大型トラックを含めてクルマの通りは非常に多く。その歩道をとにかく西へ。
最初、左手に見えていた岳南電車の線路は南へと進路を変えて、通りから遠ざかっていき...
【2021年10月6日12時46分】 静岡県富士市今泉付近
交差点を過ぎてしばらく行くと、正面に小さな郵便局が見えてくる。
今泉郵便局である。<鉄>としては今泉駅が最寄り駅と考えがちだが、調べてみるとアクセスは岳南原田駅の方が便利な感じだった。これはよくあるケース。
いつもの通り、郵便の窓口でハガキを1枚買って、局員さんに記念押印をお願いするのだった。
その風景印が...

やはり、「岳ちゃん」である。
全国で5,000~6,000程度あると言われている風景印、意外と改廃が激しく。でも、その情報は日本郵便のウェブサイトに掲載される。
その際、新規に置かれたり、あるいは意匠を変更した新バージョンがスタートする際には、その意匠の説明文も掲載されており。
この今泉郵便局の風景印は、2013年11月に使用開始になったとのこと。
その説明には
富士山の湧き水が流れる田宿川と郷土の誇り岳南鉄道
参照 https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/fuke/detail.php?id=521
そう、岳南電車は「郷土の誇り」と明記されているのである。もちろん、車番が7002であるとは書かれてはいないが、何だかこのアングル、そして、電車の表情は「岳ちゃん」だと思わずに居られなかった。
同じ井の頭線3000系を改造した仲間には、同社に他に2両固定編成の8000形も居るのだが...
(冒頭の「人形焼」の包装紙にある緑色の電車)
そのあたりの詮索はこれくらいにして。
【2021年10月6日12時24分】 岳南電車・岳南富士岡駅
今では7002号車は岳南富士岡駅の留置線の西端に留置されている。
井の頭線3000系は、18メートル級ステンレス車体というのが好感されたのか、各地の私鉄に譲渡された。そのうち、岳南に譲渡された車両の特徴は「初期車の多さ」。

【1996年1月】 京王井の頭線・高井戸駅
特に、7002、7003の2両は最初期に4両編成で導入された“狭幅車”の増結用につくられ、渋谷寄り2両目に組み込まれた1M車(モハ3100)がタネ車で。
写真でも2両目だけ裾絞りのある“広幅車体”が外側にちょっと飛び出している。真四角な車体と片開き扉が初期の2編成だけの特徴だった。
この「狭幅車」、自分が井の頭線沿いに越してきた94年の時点では既に予備車的存在で、運がよければ朝ラッシュのピーク時に渋谷-富士見ヶ丘の区間運用に1~2往復だけ出てくる...ような存在だった。
高校生のとき、この「狭幅車」にどうしても乗りたくて。
富士見ヶ丘駅のホームでずっと待って、乗っていったことがあった。
もちろん、96年に今の1000系の投入が始まると、真っ先に廃車になったのもこの編成だった。
まだ線路ヨコのフェンスができる前、高井戸駅のホーム端で引退間際に一度だけ撮った。当時、高校3年生、年明け、大学入試センター試験を間近に控えての<鉄>活動だったのである。
実は「狭幅車」は、そのまま北陸鉄道に譲渡され、こちらは浅野川線で走っていたが、後継となる東京メトロ03系改造車の投入が進められており。一度は撮りたいのだが...
う~ん、やはり、30年近く利用している井の頭線。その話題になると止まらなくなってしまう...
風景印の紹介のつもりが、井の頭線3000系の思い出話になってしまったような、今日は、そんな何だか謎な記事で。
明日は小湊鐵道の話題を続けていきたい。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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