2005年春、城端線のキハで。
今日はちょっと古い車内放送ネタで。
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2005年の春(だったと思う)、富山に行ったときのワンシーン。
学生時代の<変態鉄>、旅行...というか<鉄>活動で出かけるときは小さな手帳を携帯していた。それが、リング式の中身を取り替えられるタイプで。
そう、一時、流行った「システム手帳」というヤツのちょっと小さい版...のような。
でも、整理整頓が何より苦手な<変態鉄>。実家の机の引き出しの中で他のものと混ざってしまって...
学生の頃はネットなど無かった時代なので、見るものすべてが新鮮だったし、事前の情報などあろう筈もないので、驚きも大きかった。途中駅ですれ違った列車の編成など、事細かにメモをとっていた時期もあったので、ちゃんとファイルしていれば貴重な資料になっていたかも知れない。

【2005年頃】 城端線・城端駅
他の荷物の中に、その中の1ページを見つけたのである。
朝8時に高岡駅を出発する城端線の普通列車、キハ4連での運転は福光、砺波へ通う高校生たちの通学列車。キハのエンジン音をかき消すほど賑やかな車内。
でも、福光駅を出ると、それまでの喧噪がウソだったかのように...
終着・城端駅到着を告げる短い放送を録音していた。
しかし、日付も何も書いていない。それなのに2005年春と分かったのは...
…… ……
少しずつスキャンを続けている2007年までのネガのデータである。先述のメモを見る限り、父方の実家、祖母のところで泊まったみたい。朝7時前の地鉄バスで富山駅に向かった旨の記述が。
その富山に来るまでの往路は、大糸線に立ち寄っていたみたい。キハ52形の写真がネガ1本半あって。その最初のところに、名鉄揖斐線忠節駅で撮ったカットが。

【2015年2月25日11時03分】 北陸本線(当時)・富山駅
名鉄岐阜600V線の廃止は2005年春。忙しくて最終日に訪れることはできず、2月の訪問が最後だった。だから、2005年。その春先に富山を訪れた記憶がおぼろげに...
早朝の「サンダーバード」は魚津駅始発の列車、増結された12両編成で自由席はガラガラだった。
隣町の高岡駅で早くも下車。あの跨線橋を渡って城端線ホームに移動したのだろうか。

高岡駅 7:53発の城端ゆきはキハ4連、この区間では一番長い編成である。ちょうど高校生の通学時間帯にあたっており。車内はかなり混雑していた。
朝方、降っていた雨も上がって快晴で暖かい...とは当日のメモ。「暖かい」という記述からも、いまのような暑い時期ではないはず。
戸出駅あたりから車内は落ち着きを見せ始め、福光駅からはホンのわずかな乗客。
メモによれば、当日の編成は
↑ 城端
キハ28 3016
キハ53 1003
キハ47 1011
キハ47 1013
↓ 高岡
と記述がある。4両編成でトイレは1箇所(先頭のキハ28のみ)というのも城端線の乗車時間なら大丈夫...という判断だろうか。
後ろのヨンナナはどちらもトイレ無し車。
<変態鉄>は2両目の「キハ53 1003」に乗車していたとメモが残っている。

【2005年頃】 城端線・城端駅
城端駅で撮った写真でも、全車、臙脂色に白帯の「高岡色」に塗り替え済みだったことが分かる。
また、よ~く見れば、後部のキハ47形はどちらも延命工事を施工済みで、交換された窓枠がキラキラと光っているのが見て取れる。
そして、<変態鉄>が乗っていたのが、2両目の「キハ53形」。
コレ、なかなかの“珍車”で。いまなら、編成写真を撮るよりもホームでキハ53の側面を撮っているだろうが...
当時の<変態鉄>は若すぎた。
片運転台の急行型気動車キハ58形を七尾線ローカルで使うのに際して、廃車となった同形の運転台部分を“移植”して両運転台化してしまった...という車両。
そもそも、「キハ53形」というのは、まったく別の車体の車両があったが、「DMH17Hエンジン2基で両運転台」ということで、新形式を起こさずにまとめられたと思われる。
屋根に冷房装置を積んでいるが、隣のキハ28形から給電を受けないと冷房が作動しないので、単行運転では「冷房装置の付いた非冷房車」という不思議な存在だった筈。
せっかくのレア車両なのに写真は1枚も無く。そのキハ53 1003号車の増設運転台側のロングシートにマイクをセットして録音したと当日のメモ。
…… ……
この日はすぐに折り返して、福光駅に戻った。(コレは明確に覚えている)

【2005年頃】 富山県南砺市福光・福光公園
福光駅から歩いて近くの公園へ。棟方志功旧居が保存されている公園で撮ったのは...

【2005年頃】 富山県南砺市福光・福光公園
静態保存されているD51蒸気機関車。D51 165号機である。
それにしても...
城端線にデコイチの運用なんてあったのだろうか??

【2005年頃】 富山県南砺市福光・福光公園
なぜか非公式側の写真しか撮っていないのだが、パッと見にわかる北海道仕様の機関車である。
地元を実際に走った機関車を保存した...という例もあるが、たぶん、ちょうど公園でSLを保存しようと思ったタイミングで保存可能な機関車が北海道にしか居なかった...というパターンだろうか。全国的にそういう静態保存機は数多く、北海道仕様はいろいろなところで見かける。

【2005年頃】 富山県南砺市福光・福光公園
説明板に履歴が書かれており、確かにその生涯の半分弱を北海道で過ごしている。
そう、福光駅で下車したのは...

【2005年頃】 富山県南砺市荒木・福光駅前
西日本JRバスに引き継がれた伝統の路線「金名線」に乗るのも目的だった。
ちなみに「名」は名古屋の名。国鉄バスの路線が徐々に短縮されて、北端の北陸地方の区間だけが残っているのである。
森本駅を経由して、1時間ほどで金沢駅へ。まぁ、乗ってみればフツーの路線バス。自分のような長距離(?)の利用は僅かで、大半は金沢市内に入ってからの乗降だったが...
ということで、いまから16年前、まだ探せばニハチゴハチのDMH17Hエンジンを堪能することができた時代のサウンドをご紹介した。
さぁ、明日からは仕事が通常モードに戻って...あぁ憂鬱。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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2005年の春(だったと思う)、富山に行ったときのワンシーン。
学生時代の<変態鉄>、旅行...というか<鉄>活動で出かけるときは小さな手帳を携帯していた。それが、リング式の中身を取り替えられるタイプで。
そう、一時、流行った「システム手帳」というヤツのちょっと小さい版...のような。
でも、整理整頓が何より苦手な<変態鉄>。実家の机の引き出しの中で他のものと混ざってしまって...
学生の頃はネットなど無かった時代なので、見るものすべてが新鮮だったし、事前の情報などあろう筈もないので、驚きも大きかった。途中駅ですれ違った列車の編成など、事細かにメモをとっていた時期もあったので、ちゃんとファイルしていれば貴重な資料になっていたかも知れない。

【2005年頃】 城端線・城端駅
他の荷物の中に、その中の1ページを見つけたのである。
朝8時に高岡駅を出発する城端線の普通列車、キハ4連での運転は福光、砺波へ通う高校生たちの通学列車。キハのエンジン音をかき消すほど賑やかな車内。
でも、福光駅を出ると、それまでの喧噪がウソだったかのように...
終着・城端駅到着を告げる短い放送を録音していた。
しかし、日付も何も書いていない。それなのに2005年春と分かったのは...
…… ……
少しずつスキャンを続けている2007年までのネガのデータである。先述のメモを見る限り、父方の実家、祖母のところで泊まったみたい。朝7時前の地鉄バスで富山駅に向かった旨の記述が。
その富山に来るまでの往路は、大糸線に立ち寄っていたみたい。キハ52形の写真がネガ1本半あって。その最初のところに、名鉄揖斐線忠節駅で撮ったカットが。
【2015年2月25日11時03分】 北陸本線(当時)・富山駅
名鉄岐阜600V線の廃止は2005年春。忙しくて最終日に訪れることはできず、2月の訪問が最後だった。だから、2005年。その春先に富山を訪れた記憶がおぼろげに...
早朝の「サンダーバード」は魚津駅始発の列車、増結された12両編成で自由席はガラガラだった。
隣町の高岡駅で早くも下車。あの跨線橋を渡って城端線ホームに移動したのだろうか。
高岡駅 7:53発の城端ゆきはキハ4連、この区間では一番長い編成である。ちょうど高校生の通学時間帯にあたっており。車内はかなり混雑していた。
朝方、降っていた雨も上がって快晴で暖かい...とは当日のメモ。「暖かい」という記述からも、いまのような暑い時期ではないはず。
戸出駅あたりから車内は落ち着きを見せ始め、福光駅からはホンのわずかな乗客。
メモによれば、当日の編成は
↑ 城端
キハ28 3016
キハ53 1003
キハ47 1011
キハ47 1013
↓ 高岡
と記述がある。4両編成でトイレは1箇所(先頭のキハ28のみ)というのも城端線の乗車時間なら大丈夫...という判断だろうか。
後ろのヨンナナはどちらもトイレ無し車。
<変態鉄>は2両目の「キハ53 1003」に乗車していたとメモが残っている。

【2005年頃】 城端線・城端駅
城端駅で撮った写真でも、全車、臙脂色に白帯の「高岡色」に塗り替え済みだったことが分かる。
また、よ~く見れば、後部のキハ47形はどちらも延命工事を施工済みで、交換された窓枠がキラキラと光っているのが見て取れる。
そして、<変態鉄>が乗っていたのが、2両目の「キハ53形」。
コレ、なかなかの“珍車”で。いまなら、編成写真を撮るよりもホームでキハ53の側面を撮っているだろうが...
当時の<変態鉄>は若すぎた。
片運転台の急行型気動車キハ58形を七尾線ローカルで使うのに際して、廃車となった同形の運転台部分を“移植”して両運転台化してしまった...という車両。
そもそも、「キハ53形」というのは、まったく別の車体の車両があったが、「DMH17Hエンジン2基で両運転台」ということで、新形式を起こさずにまとめられたと思われる。
屋根に冷房装置を積んでいるが、隣のキハ28形から給電を受けないと冷房が作動しないので、単行運転では「冷房装置の付いた非冷房車」という不思議な存在だった筈。
せっかくのレア車両なのに写真は1枚も無く。そのキハ53 1003号車の増設運転台側のロングシートにマイクをセットして録音したと当日のメモ。
…… ……
この日はすぐに折り返して、福光駅に戻った。(コレは明確に覚えている)

【2005年頃】 富山県南砺市福光・福光公園
福光駅から歩いて近くの公園へ。棟方志功旧居が保存されている公園で撮ったのは...

【2005年頃】 富山県南砺市福光・福光公園
静態保存されているD51蒸気機関車。D51 165号機である。
それにしても...
城端線にデコイチの運用なんてあったのだろうか??

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なぜか非公式側の写真しか撮っていないのだが、パッと見にわかる北海道仕様の機関車である。
地元を実際に走った機関車を保存した...という例もあるが、たぶん、ちょうど公園でSLを保存しようと思ったタイミングで保存可能な機関車が北海道にしか居なかった...というパターンだろうか。全国的にそういう静態保存機は数多く、北海道仕様はいろいろなところで見かける。

【2005年頃】 富山県南砺市福光・福光公園
説明板に履歴が書かれており、確かにその生涯の半分弱を北海道で過ごしている。
そう、福光駅で下車したのは...

【2005年頃】 富山県南砺市荒木・福光駅前
西日本JRバスに引き継がれた伝統の路線「金名線」に乗るのも目的だった。
ちなみに「名」は名古屋の名。国鉄バスの路線が徐々に短縮されて、北端の北陸地方の区間だけが残っているのである。
森本駅を経由して、1時間ほどで金沢駅へ。まぁ、乗ってみればフツーの路線バス。自分のような長距離(?)の利用は僅かで、大半は金沢市内に入ってからの乗降だったが...
ということで、いまから16年前、まだ探せばニハチゴハチのDMH17Hエンジンを堪能することができた時代のサウンドをご紹介した。
さぁ、明日からは仕事が通常モードに戻って...あぁ憂鬱。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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