続・北関東ディープ<鉄>(4)大間々駅に集う車輌たち(前編)
♪ 列車を~ 待つ間に~ぃ 涙ぁ~ を拭くわ...
という歌はない。あれはあくまでバスを待つ間に...である。大間々駅で列車が来るまでの20分余り、駅前の保存車と駅構内で休んでいる、わ鐵の車輌たちを観察して過ごしたら、本当にあっという間だった。

【2021年1月7日9時52分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
一番の注目だったのは、この「わ89-101」号車。
「わ」で始まるナンバーでもレンタルしてきた訳では無い。わたらせ渓谷鉄道発足当初に導入された車輌には「わ」が冠された。(後の車輌には「WKT」となっている)
いすみ鉄道の新型車輌だって「いすみ300形・350形」だし、水島臨海鉄道なら「MRT300形」。特に車種の区別を入れる必要の無い中小私鉄の車輌の場合、形式のトップを会社名の略号にすることは珍しくない。
1989年、JRに引き継がれた直後に旧国鉄足尾線は第3セクターに転換され、わたらせ渓谷鉄道が発足する。
国鉄末期の昭和60年頃からこの頃までは、国鉄再建法の関係で「特定地方交通線」、つまり廃線対象の赤字路線がバス転換を受け入れるか、地元自治体が負担して新会社を設立して鉄道路線を存続させるか...ある意味の“究極の選択”を迫られた訳で、この2~3年の間に現在も走る多くの第3セクター路線が発足している。
となれば、そういう地方閑散線区専用のディーゼル動車が必要になる。そういう役割を担ったのが“LE-CAR”と呼ばれたシリーズ、富士重工が製造した軽量気動車群だった。
バス車体部品や汎用エンジンを利用してコストを下げ、車体も小ぶりで。「スバル」として自動車メーカーとして有名な同社だが、鉄道車両製造からは2002年度末で撤退しているので、既にこのグループはほとんど現役では残っていない。
その“第2世代”とも言えそうなグループの1両が、この「わ89-101」号車。…… ……
その“LE-Car”、富士重工が軽量ディーゼル動車の製造を手がけるようになったのは、1984年(昭和59年)頃。車体長は11 mあまりと鉄道車両としては、かなり小型(一般的には20 m車体)の部類に入る。

【2014年9月4日9時00分】 紀州鉄道・御坊駅
そして、最大の特徴は「2軸車」だったということ。

【2014年9月4日8時56分】 紀州鉄道・御坊駅
ちなみに動力にはバス用エンジンが採用され、窓回りやライトなどを見ると分かりやすいが、バス用部品を使ってコストダウンと軽量化を徹底しており。液体式なので連結運転に対応するものの、地方閑散線区とはいえ、バス並みの小型車体1両では通勤通学時間帯には不十分。結局、連結運転となるとコスト高を招き...
このタイプの増備は限られたものだった。

【2020年12月31日9時35分】 いすみ鉄道・大多喜駅
<変態鉄>としては、紀州鉄道で一度だけ乗ったことがある。保存車として多少の残存例はあるが...
その点を補って、通常のボギー車として投入されたのが車体長約16 mのグループ。こちらもバス部品を使った軽量車体のため、ほとんど残存例はないのである。もちろん、<変態鉄>がフォルムカメラ片手に全国を歩き回るようになった当初、何度も乗ることがあった。ただし、当時は「なんだぁ~、どこ行っても同じような...」という印象しか無かった。
このグループでは比較的“後期組”で、かつ、大切にされて(というか、路線自体の存廃問題があって後継車輌の発注が見合わされていたのだが...)、20年以上にわたって活躍を続けていた、いすみ鉄道200'形には何度も乗車する機会を得たのだった。
2021年1月7日(木)晴れ
いすみ鉄道車の製造が1987年、2年後にほぼ同車体で製造されたのが「わ89-100形」だった。
この後、この“LE-Car”の第2世代、発注が増えていく中で1987年頃からはバス部品を利用した軽量車体構造を止めて鉄道車輌の車体として製造されるグループへと移行して“LE-DC”へと発展していく。

【2021年1月7日9時54分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
そして、こういう第3セクターや小規模の私鉄では、車輌発注時に「通常用」と「イベント用」を合わせて...というケースが少なくない。
普段は混用されるのだが、座席配置やトイレの有無などに差異があって...
外観は同じ...というパターンも多いが、わたらせ渓谷鉄道は発足時には、ちょうど2種類の車体の“移り変わり期”だったということだろうか。
“LE-CarⅡ”の「わ89-100・200形」と“LE-DC”の「わ89-300形」を同時に投入。
既に両形式は300形の増備車の一部を除いて廃車となっているのだが、101号車と302号車が大間々駅前、かつての貨物積み込みホームとか農業倉庫があったと思しきスペースに展示されている。
それにしても...
この場所、晴れると逆光になってしまって。茶色(くろがね色)の塗装も相まって撮りにくいこと、この上なく。

【2021年1月7日9時54分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
ただ、屋根付きの環境での保存であり、しかも、床下機器は自由に観察できるというのはありがたいところ。
まず、こちらは302号車のエンジン回り。隣に階段のようなものが見える。車輌の客ドア位置に合わせて設置されているのだが施錠されていて。車内はシートなども残され、2両は幌を介して繋がっており、たぶん現役時代とそう違いがないものと思われる。
合わせて...

【2021年1月7日9時55分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
こちらは101号車のエンジン回り。こちらは車体が下半クリーム色、上半茶色のツートンカラー。これは同車の登場当時、つまり、旧国鉄足尾線からの転換されて、わ鐵が発足した当初の車体塗色。

【2021年1月7日9時55分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
反射して内部が見づらいが、とりあえずドア窓から車内を。101号車はバスと同じ2枚折り戸である。「使用中」は...だが、たぶんイベント時などには車内が開放されるのだろうかと。そういう機会に、もうちょっと気候が良くなってから再訪したいと思う次第。
いや、それは保存車だけでなく、この後、1往復乗車してみて、その車窓を見てもそんなことを思った次第。
さて、実は101号車...

【2021年1月7日9時55分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
単なるツートンカラーではなくて、動物のイラスト入り。そんな車体全景を撮るには、かなり引かないといけないが...
数年前、引退を前にして登場当時の塗色に復刻されたとのことで、引退後もそのままの塗色で保存されている。その前は302号車と同様の「くろがね色」塗り潰しの塗色だったとのこと。
ふだんは駐車場として使われるのだろうか??
この日はガランとしていて、隣接する観光案内所のギリギリのところまで下がれば、車体長の短い101号車の全体像を見ることができて。
確かにこう見ると、いすみ200'形とソックリである。
さぁ、それでは再び駅舎に戻って、改札を通り...

【2021年1月7日10時21分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
構内も見所の多い駅である。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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という歌はない。あれはあくまでバスを待つ間に...である。大間々駅で列車が来るまでの20分余り、駅前の保存車と駅構内で休んでいる、わ鐵の車輌たちを観察して過ごしたら、本当にあっという間だった。
【2021年1月7日9時52分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
一番の注目だったのは、この「わ89-101」号車。
「わ」で始まるナンバーでもレンタルしてきた訳では無い。わたらせ渓谷鉄道発足当初に導入された車輌には「わ」が冠された。(後の車輌には「WKT」となっている)
いすみ鉄道の新型車輌だって「いすみ300形・350形」だし、水島臨海鉄道なら「MRT300形」。特に車種の区別を入れる必要の無い中小私鉄の車輌の場合、形式のトップを会社名の略号にすることは珍しくない。
1989年、JRに引き継がれた直後に旧国鉄足尾線は第3セクターに転換され、わたらせ渓谷鉄道が発足する。
国鉄末期の昭和60年頃からこの頃までは、国鉄再建法の関係で「特定地方交通線」、つまり廃線対象の赤字路線がバス転換を受け入れるか、地元自治体が負担して新会社を設立して鉄道路線を存続させるか...ある意味の“究極の選択”を迫られた訳で、この2~3年の間に現在も走る多くの第3セクター路線が発足している。
となれば、そういう地方閑散線区専用のディーゼル動車が必要になる。そういう役割を担ったのが“LE-CAR”と呼ばれたシリーズ、富士重工が製造した軽量気動車群だった。
バス車体部品や汎用エンジンを利用してコストを下げ、車体も小ぶりで。「スバル」として自動車メーカーとして有名な同社だが、鉄道車両製造からは2002年度末で撤退しているので、既にこのグループはほとんど現役では残っていない。
その“第2世代”とも言えそうなグループの1両が、この「わ89-101」号車。…… ……
その“LE-Car”、富士重工が軽量ディーゼル動車の製造を手がけるようになったのは、1984年(昭和59年)頃。車体長は11 mあまりと鉄道車両としては、かなり小型(一般的には20 m車体)の部類に入る。
【2014年9月4日9時00分】 紀州鉄道・御坊駅
そして、最大の特徴は「2軸車」だったということ。
【2014年9月4日8時56分】 紀州鉄道・御坊駅
ちなみに動力にはバス用エンジンが採用され、窓回りやライトなどを見ると分かりやすいが、バス用部品を使ってコストダウンと軽量化を徹底しており。液体式なので連結運転に対応するものの、地方閑散線区とはいえ、バス並みの小型車体1両では通勤通学時間帯には不十分。結局、連結運転となるとコスト高を招き...
このタイプの増備は限られたものだった。
【2020年12月31日9時35分】 いすみ鉄道・大多喜駅
<変態鉄>としては、紀州鉄道で一度だけ乗ったことがある。保存車として多少の残存例はあるが...
その点を補って、通常のボギー車として投入されたのが車体長約16 mのグループ。こちらもバス部品を使った軽量車体のため、ほとんど残存例はないのである。もちろん、<変態鉄>がフォルムカメラ片手に全国を歩き回るようになった当初、何度も乗ることがあった。ただし、当時は「なんだぁ~、どこ行っても同じような...」という印象しか無かった。
このグループでは比較的“後期組”で、かつ、大切にされて(というか、路線自体の存廃問題があって後継車輌の発注が見合わされていたのだが...)、20年以上にわたって活躍を続けていた、いすみ鉄道200'形には何度も乗車する機会を得たのだった。
2021年1月7日(木)晴れ
いすみ鉄道車の製造が1987年、2年後にほぼ同車体で製造されたのが「わ89-100形」だった。
この後、この“LE-Car”の第2世代、発注が増えていく中で1987年頃からはバス部品を利用した軽量車体構造を止めて鉄道車輌の車体として製造されるグループへと移行して“LE-DC”へと発展していく。
【2021年1月7日9時54分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
そして、こういう第3セクターや小規模の私鉄では、車輌発注時に「通常用」と「イベント用」を合わせて...というケースが少なくない。
普段は混用されるのだが、座席配置やトイレの有無などに差異があって...
外観は同じ...というパターンも多いが、わたらせ渓谷鉄道は発足時には、ちょうど2種類の車体の“移り変わり期”だったということだろうか。
“LE-CarⅡ”の「わ89-100・200形」と“LE-DC”の「わ89-300形」を同時に投入。
既に両形式は300形の増備車の一部を除いて廃車となっているのだが、101号車と302号車が大間々駅前、かつての貨物積み込みホームとか農業倉庫があったと思しきスペースに展示されている。
それにしても...
この場所、晴れると逆光になってしまって。茶色(くろがね色)の塗装も相まって撮りにくいこと、この上なく。
【2021年1月7日9時54分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
ただ、屋根付きの環境での保存であり、しかも、床下機器は自由に観察できるというのはありがたいところ。
まず、こちらは302号車のエンジン回り。隣に階段のようなものが見える。車輌の客ドア位置に合わせて設置されているのだが施錠されていて。車内はシートなども残され、2両は幌を介して繋がっており、たぶん現役時代とそう違いがないものと思われる。
合わせて...
【2021年1月7日9時55分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
こちらは101号車のエンジン回り。こちらは車体が下半クリーム色、上半茶色のツートンカラー。これは同車の登場当時、つまり、旧国鉄足尾線からの転換されて、わ鐵が発足した当初の車体塗色。
【2021年1月7日9時55分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
反射して内部が見づらいが、とりあえずドア窓から車内を。101号車はバスと同じ2枚折り戸である。「使用中」は...だが、たぶんイベント時などには車内が開放されるのだろうかと。そういう機会に、もうちょっと気候が良くなってから再訪したいと思う次第。
いや、それは保存車だけでなく、この後、1往復乗車してみて、その車窓を見てもそんなことを思った次第。
さて、実は101号車...
【2021年1月7日9時55分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
単なるツートンカラーではなくて、動物のイラスト入り。そんな車体全景を撮るには、かなり引かないといけないが...
数年前、引退を前にして登場当時の塗色に復刻されたとのことで、引退後もそのままの塗色で保存されている。その前は302号車と同様の「くろがね色」塗り潰しの塗色だったとのこと。
ふだんは駐車場として使われるのだろうか??
この日はガランとしていて、隣接する観光案内所のギリギリのところまで下がれば、車体長の短い101号車の全体像を見ることができて。
確かにこう見ると、いすみ200'形とソックリである。
さぁ、それでは再び駅舎に戻って、改札を通り...
【2021年1月7日10時21分】 わたらせ渓谷鉄道・大間々駅
構内も見所の多い駅である。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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この記事へのコメント
冒頭の曲の元歌は「バスストップ」by平浩二ですね。
コメントありがとうございます。
そうですね。第3セクターは、どこも国鉄から切り離された地元の足を自分たちで守っている...という意識でしょうか。車輌なども大切に扱っているような気がします。わ鐵も、厳しい状況にはあるみたいですが、頑張って欲しいと思っている次第です。もう少し暖かくなって、世の中も落ち着いてきたら再訪したいとも思っているところです。
冒頭の歌詞、もちろんご名答でございます。バカなことばかり書いておりますが、この話題、もうしばらく続きますので、またご感想など寄せて頂けると幸いです。